古谷一行さんが亡くなられたと訃報がありました。
俳優として活躍されていましたが、若い頃はどんな学生さんだったのでしょうか。
古谷一行さんの学歴について調査しました。
古谷一行さんは大学時代、弁護士を目指し法学部に在籍されていたことがわかりました。
弁護士志望が、どのタイミングで俳優へと転向されたのでしょうか。
古谷一行さんの経歴についても紹介したいと思います。
今回は「古谷一行の学歴や経歴は?夢は弁護士で法学部に在籍していた秀才!」と題して紹介していきます。
この記事でわかること
- 古谷一行の学歴まとめ
- 古谷一行の経歴
- 古谷一行の夢は弁護士で法学部に在籍
ではさっそく本題に行きましょう!ご覧ください!
古谷一行の学歴まとめ
古谷一行さんの学歴をまとめて紹介します。
出身学校はこちらです∇
小学校:豊島区立大塚台小学校
中学校:豊島区立高田中学校
高校:東京都立板橋高等学校
大学:中央大学法学部
出身小学校や中学校は、出身地が東京都豊島区であることから、地元の学校にかよわれていました。
小学校時代には先生に勧められて、区の演劇コンクールに出演された経験もあるのです。
そのころからお芝居のセンスがあったのでしょう。
在籍していた高校は「東京都立板橋高等学校」
現在の偏差値は「44」と平均的な偏差値ですが、古谷一行さんが在籍していたころは、都立の上位校として有名でした。
東京都立板橋高等学校出身の芸能人はこちら
- 工藤静香
- 山崎賢人
- 柴咲コウ
これだけ有名な人の地元校なんですね!
古谷一行の夢は弁護士で法学部に在籍
古谷一行さんは高校卒業後大学に進学されます。
出身大学は「中央大学法学部」
偏差値が「66」と、古谷一行さんが秀才だったことがよくわかります。
大学時代の夢は弁護士になること。
法学部出身ということから、高校時代から弁護士になるため勉強されていたのでしょう。
しかし、夢である弁護士にはならず、俳優として活躍されています。
何がきっかけで俳優を目指されたのでしょうか?
大学時代古谷一行さんは演劇研究会に入部されます。
この入部が、古谷一行さんの目標が変わったきっかけでした。
演劇研究会に入ってから、演劇の魅力に引き込まれました。
1964年、古谷一行さんが20歳の頃俳優座の養成所に入所します。
1967年、23歳で正式に俳優座に入団
役者になるため、本格的に始動されました。
1969年、「新撰組」で映画初出演し、俳優の道を歩まれました。
俳優目指して2年で初出演とは、この頃から才能に溢れていたことが分かります。
古谷一行の経歴
古谷一行さんの経歴について紹介します。
1967年:俳優座に入団
1976年:歌手デビュー
1977年:横溝正史シリーズに出演
1982年~25年間:『土曜ワイド劇場』にて『混浴露天風呂連続殺人』シリーズの主役・左近太郎役として出演
1999年:息子の降谷建志のグループDragon Ashのアルバム『Viva La Revolution』に出演
2003年:映画『手紙』では父子共演
\主な代表作品/
映画
- 新選組
- 手紙
- 刑事物語 兄弟の掟
ドラマ
- 松本清張シリーズ
- 土曜ワイド劇場
- NHK朝ドラ「虹」・「ひよっこ」
- 大河ドラマ
- 下町ロケット
- サラリーマン金太郎
数々の作品で活躍されていました。
まとめ
今回は「古谷一行の学歴や経歴は?夢は弁護士で法学部に在籍していた秀才!」と題して紹介していきます。
俳優として活躍されていましたが、若い頃はとても秀才で勉強のできる古谷一行さんでした。
古谷一行さんの在籍した学校は
- 小学校:豊島区立大塚台小学校
- 中学校:豊島区立高田中学校
- 高校:東京都立板橋高等学校
- 大学:中央大学法学部
古谷一行さんは大学時代、弁護士を目指し法学部に在籍していましたが、大学で演劇研究会に入部したことがきっかけで役者を目指されたのです。
経歴も紹介しましたが、俳優を目指し約2年で新選組に出演し、才能があったことがよくわかりました。
沢山の作品に出演され活躍されていました。
最後になりましたが、古谷一行さんのご冥福をお祈り申し上げます。
お読み下さりありがとうございました。