東京オリンピック組織委員会の元理事の高橋治之さんが話題になっていますね。
高橋治之元理事といえば、かなりエリートですごい経歴ですね。
そんな高橋治之さんには弟さんがおられました。
高橋治之さんの兄弟・弟ということで、優秀な人かな?と想像はできますが、調べてみると「リゾート王」とも呼ばれ、超エリートだったことが判明しました。
どんな経歴をお持ちなのか、紹介していきたいと思います。
また、高橋治之さんの弟を支えられた妻や子供はどんな方なのか、家族構成についても調査しました。
今回は「高橋治之の弟(高橋治則)もリゾート王で超エリート!妻と子供の家族構成も!」としてお伝えします。
この記事でわかること
- 高橋治之の弟(高橋治則)はリゾート王!
- 高橋治之の弟(高橋治則)の妻と子供・家族について
では早速本題に行きましょう!ご覧ください!
高橋治之の弟(高橋治則)の経歴
高橋治之さんの弟は、1歳年下の1945年生まれです。
高橋家の次男として成長されます。
経歴
経歴について紹介しますね
1968年 | 日本航空入社 |
1972年 | イ・アイ・イ・インターナショナル「国洋開発」設立 |
1976年 | 日本航空退社 |
1983年 | 株式会社イ・アイ・イ社長就任 |
1985年 | 株式会社イ・アイ・イ株式公開 共和信用組合(東京共和信用組合)理事長就任 |
1986年~ | 海外へのリゾートへの投資を開始 |
1987年 | オーストラリアにポンド大学設立(オーストラリア初の私立大学) |
日本携帯電話(東京デジタルホン)設立 公益財団法人情報国際交流財団摂理・理事長就任 |
1986年から行われた海外リゾートへの投資は、主にホテル・海外リゾート・ゴルフ場の開発事業です。
当時は「南太平洋のリゾート王」と呼ばれるほどすごかったのです。
バブル当時とはいえ、治之さんのカネ遣いはおよそサラリーマンのものとは思えませんでした。弟さんのプライベートジェットを乗り回し、治之さんの部署の人たちだけ、社員旅行の行く先が弟さんの開発していたタヒチ・ボラボラ島のリゾートだったりした
引用元:https://www.news-postseven.com/
なんと、あのタヒチ・ボラボラ島も高橋治之さんの弟が開発されていたんですね!!
当時は1兆円を超える総資産で、融資額は最大で6,000億円とも言われています。
この融資は親戚が頭取務める長銀からの融資で、海外の高級ホテルなども購入されていました。
華々しい経歴を持っておられますが、1995年に背任容疑で逮捕されてしまいます。
この逮捕の原因は、融資先の東京共和信用組合が関連企業や元労相山口敏夫さんの親族企業などに十分な担保をとらず、不正融資を繰り返し破綻したことが原因です。
2005年にくも膜下出血が原因で他界されます。59歳でのご逝去となりました。
高橋治之の弟(高橋治則)の妻と子供・家族について
まとめ
今回は「高橋治之の弟(高橋治則)もリゾート王で超エリート!妻と子供の家族構成も!」としてお伝えしました。
東京オリンピック組織委員会の元理事の高橋治之さんが話題になっていますね。
高橋治之元理事といえば、かなりエリートですごい経歴ですが、弟の高橋治則さんも超エリートですごい経歴でした。
兄弟そろって活躍されていました。
高橋治之さんの妻や子供(娘・息子)について調査しましたが詳しいことはわかりませんでした。
一般人ということで、公開されていません。
最後までお読みいただきありがとうございます。